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2012-06-02

ポーランド(2012/05/30-2012/06/02)

長期の旅と旅の間が少し長めに空いていたので、3泊4日の弾丸ポーランド旅行へ。

クラクフ
クラクフでは、旧市街地を囲む城壁跡は公園となり、さらにその外側はトラムが走る環状道路となっていて、雰囲気や建物の大きさが城壁内外でだいぶ違う。

到着が夕方だったのですぐ暗くなってしまったが、旧市街地の中心広場まで行ってみる。 
馬車が走っていてかなりおしゃれな雰囲気。

そして夕食を食べたが、何とも物価が安い。日本の半分くらいなんじゃないだろうか。
貧乏旅行者には嬉しすぎる。

クラクフ旧市街の中心広場。美しい上、落ち着いた雰囲気でとても居心地のいい場所。

ポーランドはギリシャのように荒廃したイメージを勝手に想像していたが全く違い、西ヨーロッパ的なきれいな広場と街並みで意外。

翌日、クラクフに来た最大の目的、アウシュビッツ強制収容所へ。 
クラクフから路線バスで1時間くらい。

始めに収容所がソ連軍によって解放された当時の映像をみて、ガイドツアーに参加。

アウシュビッツという名前は占領された後にナチスによって名づけられたものらしく、ポーランドでは元々オシフィエンチムという地名らしい。

なぜここに最大規模の強制収容所が作られたかというと、この地はヨーロッパのほぼ中心に位置しているかららしい。確かに地図を見て、当時ヨーロッパへのソ連の影響が強かったことを考えるとそうかもしれない。

ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になれる) の門。

一見、このレンガ造りのバラックの立ち並ぶ風景はただの住宅地のような感じがして収容所であったような気がしない。

しかし中に入って展示を見てみると、ナチスドイツが隠滅しきれなかったその証拠がまざまざと並べられている。
これは囚人たちから没収された旅行鞄の山。当時、囚人たちはここへ移住させられるだけだと思っていたので、生活用品も一緒に持ってきていた。そして到着後それらはすべて没収され、その残った一部がここに展示されている。靴や洋服、歯ブラシ、メガネ、鍋など、一部といってもおびただしい数の生活用品の山が展示されている。

生活用品ではないが、中でも最も衝撃的なのは、女性の髪の毛の山。ナチスは女性囚人の髪の毛を切って、それを工場に送り、布を作って売っていたらしい。鑑定の結果、その人間の髪の毛から作られたらしいという布も展示してあり、ナチスの恐ろしい異常性を感じる。

多くの銃殺刑が執行されたという死の壁。今ではたくさんの花が手向けられている。

監視塔と有刺鉄線。

収容所内に張り巡らされた有刺鉄線の柵はその当時のものがそのまま保存されているらしい。

復元されたガス室と焼却炉。内部も見学できて、復元といってもこの空間を体験するのはなんとも恐ろしい。さすがに異様すぎる雰囲気に写真すら取る気が起きなかった。

ビルケナウ(第2収容所)へ。
とてつもない広さ。ここにはもともとポーランド人の村があったが、ナチスはそれを破壊してこの収容所を作ったらしい。収容所内部まで鉄道の線路がひきこんであり、ちょうど中央にプラットフォームがある。このプラットフォームでは選別が行われ、ユダヤ人や労働不適格者は即座にガス室へと送られたという。

現在では草の匂いのする穏やかな場所のように感じて、とても史上最大の大虐殺があった場所とは思えないがところどころにその片鱗が垣間見られる。

鉄道引込線からの収容所への入り口にあたる死の門。

小さな貨物列車に限界まで収容され、何日間も移動してきた人の末路がこの収容所というのは残酷すぎる。

鉄道引込線の末端にあるガス室と焼却炉の廃墟。これはナチスが撤退の際に証拠隠滅を図ったものだが、爆破しきれておらず内部の構造がわかる。

この場所での死者への鎮魂の言葉がさまざまな言語で記された石碑が並べられている。

日本語もあるかなと探してみたがない。
ふと日本はこの惨劇に直接的にではないにせよ加担した側の国であることを思い出す。

石碑には"Here lie their ashes. May their souls rest in peace."の文字。

これらも証拠隠滅のためナチスが爆破していった収容施設。
残った煙突だけが並ぶ風景はまるで墓標の並ぶ墓地のようにも思える。

爆破されずに残っていた収容施設。

外から見ると分かりづらいが、内部に入るととても人間が生きていける環境でないことが分かる。

以前ミュンヘンに行ったときにもダッハウ強制収容所へと立ち寄ったが、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所はそことは比べ物にならないほどの大きさ。そこで起こった惨劇の規模も大きく、そのため展示内容も陰惨で、見ていて息苦しくなるものばかり。
ツアーガイドは英語だったので言ってることは半分くらいしかわからなかったが、それくらいがちょうどよかったんじゃないかと思えてしまう。

再びクラクフの市街地へと戻る。
環状線に沿った公園を抜けて昨日行った中心広場へ。

この広場、とても大きなオープンスペースの中央に市場のような建物が配置され、それを囲むような広場となっている。建物の左右は大きなまとまった空間となっていて、そこに教会や塔がバランス良く配置されていて面白い。

教会は斜めにずらされて配置されている。

中央の建物の内部は昔は市場だったのかもしれないが、今は土産物屋が並ぶ。

川辺に立つ王宮までメインストリートを歩く。

途中には立派な教会も。

川辺は公園になっていたがそこまで整備がされている感じではない。

王宮の対岸に立つManggha museumへ。

Manggha museum (磯崎新)
Mangghaと名の付いている通り、浮世絵などの日本の文化を紹介するための美術館。

屋根は前面の川や浮世絵での海の表現に合わせて波打ったような形となっているらしい。

時間がなかったので展示室までは見れなかったが、ロビーの架構は少し日本建築っぽい。

川に面したテラス。

川沿いの公園と接続されている。

クラクフを後にし、ワルシャワへ。
クラクフ駅には大きな駅ビルがあってにぎわいのあるショッピングセンターが入っている。

ワルシャワ
着いたらもう暗い。そして駅から出た瞬間に異様な高層ビルが目に入る。
この文化科学宮殿と呼ばれるスターリン様式の高層ビル。スターリン様式はソ連の力が強く、東欧に共産主義が蔓延していた時代に、共産主義の権威を高層ビルで示すことを目的とした様式。

ホステルまで歩いたが首都だというのに人は少なく静か。

ワルシャワには特に見るべき建築もなさそうなので街をぶらぶら。

国立美術館。
おそらく最大の美術館だろうが、そこまで収蔵品は多くない。

軍事博物館。
第二次世界大戦期の展示があるかと思って行ってみたが、それらしきものはあまりない。そしてポーランド語でよくわからない。

北端の新・旧市街まで南北にヴィスワ川に沿って大通りが走っている。

直立不動の衛兵が立つ無名戦士の墓。

北に行くにつれて車の交通量が減っていき、カフェや店が増えていく。

St.Anna's church。横の塔には登ることができる。

ヴィスワ川側。

旧市街側。

歩いてきた道。高層ビルが立ち並んでいるのは駅前の方。

教会内部。

旧市街への入り口の広場に面して建つのがワルシャワ王宮。

内部。

今でこそ立派な装いをしているが、この王宮は第二次世界大戦のときに完全に破壊されたらしい。その映像がこの王宮の地下展示で見ることができ、さらにその復興の様子も見ることができる。

旧市街の広場。広場に面する建物のファサードの軒高がそろい、さらにカラフルでかわいらしい街並み。

中心にはワルシャワの紋章ともなっている人魚の像。

この旧市街、そしてすぐ北にある新市街は世界遺産として登録されている。ヨーロッパの都市の旧市街地が世界遺産であるのはよくあることだが、ここの事情は他とは異なる。
この辺一帯は、先ほどの王宮と同様、第二次世界大戦のときに破滅的なダメージを受け、がれきの山となっていた。それを元通りに復元し、第二次世界大戦からの復興の歴史としての価値が認められての認定ということらしい。

新市街へ。


北へ行くにつれてどんどん人影がなくなっていく。

このときはちょうどサッカーユーロ2012の開催地がポーランドで、開幕前だったが街はユーロに向けて盛り上がっているようだった。
散策してて川の向こうに見えたのがそのメインスタジアム。

全然知らなかったが、放射線研究者のキュリー夫人はワルシャワ新市街の出身らしく、その生家がある。壁にRa、Puと書いた絵があるので何かと思ったが、ラジウムとプルトニウムかと納得。

正面から見たら三角形の面白い家。角度を変えてみてみると、屋根の切妻部分だったことが分かる。

城壁も復元されている。

ワルシャワ蜂起記念碑。

University of Warsaw Library (Badowski Budzynski Kowalewski Architekci)
この図書館、屋上がすべて庭園になっている。

しかも地上レベルの隣の公園から駐車場などの低層棟の屋上を経由して高層の図書館の屋上庭園まで動線が連続している。

高層棟の屋上庭園へ。

高層棟の屋上庭園も
よくデザインされており、トップライトも庭園のデザインの要素となっている。

緑あふれる庭園の向こうに市街地が一望できるという贅沢さ。


明り取りは屋上までの吹き抜けのパターンも。

川も一望できる。

ブリッジがかかっているなどよくありがちな単調な屋上庭園とは違って変化に富む。
かなり大きな面積を屋上庭園としているからできることかもしれない。

図書館というプログラム上難しいのかもしれないが、この地上から連続する屋上庭園と図書館の内部は全く行き来することはできず、両者の関係は視覚的に内部から外部が、外部から内部が覗けるといったぐらい。もっと内部と外部の関係が親密になればたくさんのアクティビティーや心地よい場所がたくさん生まれそうなのにもったいない。

一端、地上に戻って図書館内部へ。
図書館への道はカフェやショップが並ぶアーケード街のようになっている。

内部は内部で光に満ちたとても明るく心地よい空間

中央の大空間の両側を3層の書架が囲む。

基本的に書架が並ぶ空間は薄暗いが、その中にライトウェルからの光が差し込む明るい空間があったり、トップライトから光が差し込む特に明るい場所には学生が座り込んでいたりと、内部空間も多様な様子。

やはり内部は内部で、外部は外部でいい空間なだけに内外の関係性がもっとあってほしい。

図書館の近くには現代的なデザインの科学博物館。ちょっと入ってみたかったが閉館時間を過ぎていた。

ワルシャワのガイドブックを見てchopinってよく見るけどチョピンって何だろうと思っていたが、なにかの拍子にそれが作曲家のショパンであるとわかる。ショパンもワルシャワの出身らしい。
これがChopin Museum。こちらも閉館済み…。
ワルシャワの空港の名前もFrederic Chopin Airportである意味がわかる。

道路の真ん中にクラシックな教会。

最終日はヴィスワ川東岸のアーティストのためのリノベーション施設がいくつかあるというプラガ地区へ。

しかしアーティストが活動してるというのできれいでおしゃれな感じをイメージしていたが、ガイドブックにはメインストリート書いてあるところもなんだか荒廃ぎみ…。
倉庫群をリノベーションしてギャラリーなどにしている場所へと行ってみるが、やっている気配がない。

看守の人に英語が伝わらないながらも何時から開館するのと聞いてみると、もうやってるよ的な返事が返ってくるが全く人気がないし、建物にも入れない…。

もう少し待とうにもここら辺ではやることが全くなさそうなのであきらめて駅の方まで戻る。

文化科学宮殿の中に入ってみる。

作りや雰囲気、匂いともに一昔前の博物館といった感じ。

車や機械などの工業技術の展示がしてあったが、なんか古くさい。

駅前にはたくさんの高層ビル、今も凝ったデザインのビルが建設中。

まだ飛行機まで時間があったのでワルシャワ蜂起博物館へ。
ワルシャワ蜂起は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ占領下におけるポーランド国内軍による武装蜂起。これへ結果的に鎮圧されてしまい、その後報復のような形でナチス・ドイツによって市街地は徹底的に破壊された。

展示を見ると、レジスタンスや市街戦といった映画や漫画な中でしか見たことがないようなことが現実にここで起こっていたのかという実感が少しわく。

昨日歩いた旧市街地の廃墟となった写真。本当にすべてが破壊しつくされている。
他にも市街地の中を軍人が行進している写真や戦車が走っている写真があったが、日本では市街戦がなかったからか、街中で戦争がおこるということがイメージできなかったのでなかなか衝撃的。


第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻によって始まったということぐらいは知っていたが、
アウシュビッツにしろワルシャワにしろ、ポーランドという国がここまで第二次世界大戦と関係の深い国だというのは初めて知った。

再び駅へ戻る。
ビル一棟まるまるユーロの宣伝に使われている。

最後にビルの間にうねうねした屋根のかかるショッピングセンターへ。

屋根の構造はかなりきれい。

この大屋根のかかる一体的な大空間は面白い。

ユーロの宣伝ブースも。

奥の方まではいったストリート部分にまで大屋根は続く。

留学前にはポーランドに行こうなんて全く思っていなかったが、いざふと思い立ってきてみると面白いことや知らなかったこと、イメージと違ったことがとても多くて来て良かった。

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