どうせならなかなか行けないようなところで年を越そうと思い、トルコへ旅立つ。
まずは、岩石遺跡群が世界遺産となっているカッパドキアへ。
1日目(2011/12/29)
滞在先の街からもうすでに不思議な岩たちが見えている。
滞在していたのはギョレメという世界遺産に指定されている国立公園の中にある街。
ホテル、観光施設間でのネットワークが強く、車での送迎など観光者のためのシステムが強く築かれていて、とてもホスピタリティーの高い街。
トルコでは、初めて来たお客さんには一杯飲物をごちそうするという習慣があるらしい。
ホステルでもビールをただで飲ましてもらったし、観光案内所でも待ち時間に飲物が出てきた。
なんて素晴らしい習慣。
こちらはアップルティー。こっちではよく飲むらしい。
この国立公園はとてつもなく広いので、車を借りるか、ツアーに申し込まないととても周れない。
ということで2日間ともツアーを申し込む。
ツアーのバスのバックミラーには長州小力ストラップが。日本人旅行者の多さをうかがわせる。
ツアーのガイドは若い兄ちゃんなのだが、この人、やたらと"My friend!"というフレーズを連発する。参加者に呼び掛けるときにはMy friend!、何かしゃべっては語尾にMy friend!。あまりの違和感に他の参加者の人たちもざわざわしだす。
最初の停車場。不思議な形の岩石群に囲まれている街がさっきまでいたギョレメ。
雪景色と相まってかなりきれい。
初のイスラム圏だからか、お土産屋には今まで見たことがない類のものばかり。
続いてDerinkuyu Underground Cityに到着。こんな閑散としたところに本当にそんなものがあるのかと思っていたら、イスラムの礼拝の時間の合図なのか、謎のうめき声のような放送があたりに響き渡る。
なかなか衝撃的でさらに不安になったが、小さい小屋のような入口があり、そこから地下へ。
この地下都市、なんと深さ85m、16フロアーもあるらしい。最初につくられたのは紀元前4世紀、その後5~10世紀にはキシリタンたちが迫害を逃れるための棲家だったらしい。規模と歴史のスケールの大きさに唖然とさせられる。
見学は地下8階まで行けるが、それ以上は怖くて行きたいとは思わない。
日本の鍾乳洞や沖縄のガマのような感じもするが、決定的に違うのは人が定住していたということだろう。
内部構造はよくできていて、まず地上へとつながる換気口をいくつか掘り、その換気口同士を横につないでいったらしい。
部屋の中心にある太い柱には、罪人を張り付けてさらしものにしていたらしい。柱の上部には手枷の跡がある。
礼拝堂にはアーチが組まれていて、ちゃんと礼拝堂っぽくしつらえられている。
他にもキッチン、トイレ、家畜部屋など生活に必要な機能が備えられている。
こんな地下深くで人が生活していたなんて信じられないが、こういう痕跡を見ると現実味がわいてくる。数世紀にわたってここで生活していたら地底人のような種族もでてきていたんじゃないだろうかと思える。
トルコは野良猫、そして野良犬が異常に多い。
次はIhlara Valley という谷間の公園を散策。
ものすごく切り立った渓谷で自然の迫力を感じる。
階段で谷底まで下りていく。
途中には岩をくりぬいて作られた教会が。壁画の保存状態が悪いのは、キリスト弾圧の際に破壊されたのが原因だそうで歴史を生々しく感じられる。
谷底には川が流れていて、ひたすら川沿いを歩く。
水がきれい。
この渓谷にも岩をくりぬいて人が住んでいた痕跡が見られる。
崖の手前にはゴロゴロと大きな岩が転がっている。崖から崩れて落ちてきた感が怖い。
なぜかアヒルの群れに遭遇。
どうなったらこうなるのか不思議だが、今にも崖上の岩が落ちそう。
かなり長い道のりだが、木の種類が変わったり岩石の様子が変わったりとランドスケープがどんどん変わっていくので飽きない。
見たことのない形の木も多い。
リアルな羊飼いとその愛犬、そして羊たちに遭遇。
崖に空いている人工的な穴は伝書鳩の巣として使われていたらしい。
Selime Monasteryというところへ。
地下の次は岩山をくりぬいて人が高い場所に住んでいた形跡が残るところ。
この岩山を徒歩で登って行くのだが、見ての通り柵などは一切ないし、けっこう急で危なそうなところもある。日本じゃ考えられない見学の仕方。
こちらもただの穴蔵じゃなくて岩を削った家具や開口部や教会、伝書鳩の巣などの生活に必要な機能が備えられていて、当時の人々の生活が想像できるから面白い。
岩山全体が一つの集落のような感じで、集落の空間が高さ方向でつながっている。
奇岩も面白いが移動中にバスから見えるこの荒涼としたランドスケープも迫力がある。
この辺でガイドの兄ちゃん、僕たち日本人をいじり始める。
トルコではキャプテン翼がかなり有名らしく、日本人2人は翼くん、岬くんと命名され、おれは小次郎だと名乗り始めちょっと仲良くなる。
周りが真っ暗な分、街の明かりがきれい。
トルコは料理がおいしい。たまにブリュッセルでトルコ人のケバブにお世話になっているが、本場のケバブはサンドイッチだけではなく、シチューのようなものも含むらしい。しかも素焼きのつぼに入ってきて、それを割って食べるという珍しい食べ方。さらに白米も食べれるのはうれしい。
2日目(2011/12/30)
泊まったホステルは奇岩の洞窟を利用している。
岩と岩の間に天井と階段がつけられていて面白い。
昨日ガイドの人が連発していたMy friend! をここのホステル人も連発する。どうやらトルコ人はこのフレーズが好きらしい。
せっかく来たので気球で奇岩群を見学。
同じ場所から次々に飛び立つ。
運よく快晴。朝日が美しすぎる。
自分たちの影が岩に写る。
奇岩のすぐ近くまで近づくというパイロットの驚異的な操縦技術。
フライトを終えた気球は車で回収される。
向こうの山のふもとは雲海で地面が見えない。
地形がすごい。大自然のスケールに圧倒される。
何もないがゆえに影がくっきり。
回収車の荷台ぴったりに着陸。やはりパイロットすごい。
着陸後はシャンパンで乾杯するというのがきまりらしい。
2日目もツアーへ。
急斜面を平然と歩くラクダ。
奇岩の形もいろいろ。
この奇岩、硬い岩のようなものなのかと思って近づいてみると、意外ともろい土の塊のようなもので触るとぽろぽろ崩れて風化しやすそう。
Open Air Museum へ。
昨日とおんなじような奇岩群の中の居住跡だが、ミュージアムとして保存されているからか、明らかに岩をセメントで固めているような跡が見えて残念。
岩でつくられた家具は今までで一番しっかりしている。
わざわざ岩を掘ってつくるほどアーチやヴォールトは教会の意匠的にとして重要とされているのだろうか。
Cavusin Village へ。
なんとこの村には20世紀にも人が住んでいたらしいが、今は崩壊の危険性が高まり別の場所に移住したそう。
今は観光地になっていてお土産もあるが、荒廃した遺跡のようなものがそのまま放置されているだけ。
崖地に築かれた町のふもとには小さなモスク。初めてモスクの空間を体験。
礼拝はひざまずいて行われるため絨毯が敷かれている。
さすがに割と近世まで人が住んでいただけあってその痕跡が今までで一番強い。
確かに今にも崩壊しそうなところもけっこうある。
床には火を焚いていたような穴が結構ある。
住居跡内部の開口部からはいい景色
立ち入り禁止となっているところはないのでかなり自由に住居跡をたどれておもしろい。歩いてみるとかなりの急斜面で高低差も大きい。
斜面での人々の生活を一番偲ぶことができる場所。
Pasabag Monks Valley へ。
ここの岩は明らかに層によってもろさが違っていて、風化の進み具合の違いがこの不思議な形をつくっている。
ここにも人が住んでいたらしい。
人工的に掘ったような大きな洞穴もある。
てっぺんにちょこんと乗っかっている岩はそのうち落下し、真中に見えるやつのような状態になるらしい。そしてこの真中のやつもいずれは風化してなくなる。数千年後の話ではあるが…。
それからまた新しく一番後ろに見える層状になった台地が風雨で浸食され、同じような地形がつくられる。
このサイクルが何千年もかけて繰り返されているらしい。
カッパドキアでは自然や地球のスケールの大きさに圧倒されっぱなしである。
最後はトルコの陶器工場の見学。
この珍しいドーナツ状の形をしたものはワインを注ぐためのもので、わっかを肩にかけてそのままグラスへと注ぐ
トルコ陶器の模様はどれも細かくてとても美しい。
帰り道にDevrent Valley による。
ここには何かに見える岩が多いらしい
例えばこれはラクダ。見えないこともない。
三姉妹の岩。
他にも色々説明されたけど結構無理矢理。
夜はトルコの伝統舞踊を見に行く。
スカートのような衣装を着た男の人たちがくるくる回る。神に捧げるダンスらしく厳か。
賑やかなものもあれば、
ベリーダンスもトルコ舞踊らしい。
次はイスタンブールへと移動。
0 件のコメント:
コメントを投稿